千代田日誌

千代田区在住、考えごとを書き置きする場所。

働くって、なぁに?

私にとって働くってなんだろう。ここ数ヶ月、それが思考の中心テーマになっている。

 

①お金のため、それはそう。

でもお金のためだけやったら、なんでこんな月曜の朝が憂鬱な人が多いんやろう。

お金のために働くって、本心から割り切って働いているのなら、なんで仕事で鬱病になる人がいるんやろう。

だってお金のために働くんやったら、ほんまに今月の生活費のために最低限稼ぐんやったら、上の無茶ぶりなんて一切シカトして、下に教えたりなんてせんで、同僚との円滑な関係構築なんて要らんくて、黙々と自分の仕事で結果出せば給料もらえるやん。なんなら正社員なら結果出さんくても貰えるやん。

 

②承認欲求のため、これもうっすら隠れてると思う。

無茶振りに応えて褒められるとか、下に教えて感謝されるとか、同僚の話を聞いて自分は必要とされているとか、そういった承認欲求は働くことの副産物として、確かにある。

社会に必要とされている、それで自信なり人生の意義なりを見出している層はいると思う。

けどこれは本来の働く目的ではないし、正直空気に飲まれてるだけで、うっすい薄い出涸らしで淹れたコーヒーみたいなもんをありがたがって啜ってるようなもんとちゃうやろか。

 

お金のため、はほぼ全員が持っている感情でそれは健全で正しい。けど、この承認欲求を仕事に求めている人は精神面、気をつけたほうがいい。

なぜならそれって働くことの本来の目的と違うし、もしそれが本来の目的やという人がいるんなら(そしてそういう人って気づいてないけどめっちゃ多いと思う)、稼ぐために働いてんねやろって、思い出して、もっと気楽に働くを考えたほうがいいな、と思う。

そもそも承認欲求を自分がコントロールできない要因(他人からの評価とか、感謝とか、仲間意識()とか)に求めようとすること自体が危うい。承認欲求は裏切らない確実なもの(猫とか犬とか、筋肉とか、給料そのものとか、金で買えるサービス全般とか)で満たせるように意識しないと、絶対憂鬱になるわなー。

 

③暇やから、時間潰し。

これは健全やし、堂々と座右の銘にすべき、働くってことの本来の姿かもしれんと最近思う。毎日やることなくても暇やし、ずっと趣味に没頭してたら飽きるし、適度なストレスないとボケそう、なんやかんやお金はあって困らんし、いっちょはたらくかーっていう感じ。

ここ数ヶ月、就活もせず無職やって、日がな一日好きなことばっかりして過ごしてみて、めっちゃ実感した。働かんと、暇。

趣味とか勉強とか(勉強も趣味やけど)色々手出して、普段から人に会ってるから、なんやかんややることはあるんやけど、やっぱ働いて、自分が社会になんらか関与してることって、趣味にも勝るほど、結構楽しい。

 

結論。私にとって働くとは、めっちゃ楽しい人生の暇つぶしである。そうあるべきである。

好きなことを仕事にする、とかあるやん。でも好きなことじゃなくてもさ、そもそも働くって行動自体が私にとってはめっちゃ楽しいし、その気持ちを大切にしていこ。

辛くなってきたらやめたらいい。開業してるんやったら閉じたらいい。

楽しむって結構働く上でも大切やしな、働く上で適当マインドって、大切。

 

 

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課題

①実際問題、働くのを楽しんでる社会人なんて少数派である。それはなぜか。

②辛くても会社を辞められない人に、解決策を提示せよ。

③働くことを楽しい暇つぶしと捉える社会人が増えた場合、起こりうる課題を提示せよ。

 

なお、上記考察は貧困層には当てはまらず、それは全く別の問題として考えたい。